シュタルクは ≪ドイツ・物理学者・人物≫

ドイツの実験物理学者。

バイエルンの地主の子として生まれる。

1906年ハノーバー工科大学講師となったが、前任者と衝突して、09年アーヘン工科大学へ教授として移る。

ゲッティンゲン大学の教授を望むが果たせず、グライフスワルト大学を経て20年ウュルツブルク大学教授になるが、ここでも同僚たちと折り合わず2年後に辞職した。

故郷で始めた磁器業にも失敗し、職を求めていたとき援助してくれたのが、ユダヤ人の物理学を攻撃していたレーナルトであった。

ナチスの権力奪取後、33年国立物理工学協会会長に、翌年さらにドイツ研究財団団長に就任、後者は2年後に辞めさせられ、前者を39年に引退した。

彼は前半生において、後述のように新しい物理学の最前線で役割を果たしながら、後半生では、量子力学や一般相対論に反対し、ハイゼンベルクたちを、アインシュタインの心をもつ「科学における白いユダヤ人」と攻撃さえした。

1905年、彼は、放電管中で生じた陽イオンの粒子線から放射される光のスペクトルを、粒子線の方向とその反対方向に分光器を置いて観測し、静止した粒子から出されるそれに特有のスペクトルと比べ、光のドップラー効果を発見、また電場中に原子や分子を置くとスペクトル線が分岐することを、水素の陽極線を光源として確かめた。

この二つの発見により19年ノーベル物理学賞を受賞した。
update:2010年03月18日